SUMMERS 1日目 夜

 夏とはいえ、夜になれば太陽は沈む。幾ら日が長いといっても、日没はいずれやってくるものだ。周囲は闇に包まれ、ロッジには点々と灯りが灯っていた。
 キャンプ場を煌々と照らすのはキャンプファイヤーだ。選手たちが協力し、日没前に組み上げたものだった。火の灯りは野生動物を退ける。皆の安全を確保する為にも火を守らねばならないという事で、順番で当番も組まれていた。
 キャンプ場の端、彩夏は昼に木更津と共に捜索した倉庫の土台の出っ張りに腰掛け、揺れる灯りを瞳に移しながら山へと思いを馳せていた。

 小日向つぐみ。彩夏の小学生時代からの友人で、いわゆる幼馴染というものでもある。顧問の先生と共に行方不明となってしまった客船の船長は彼女の父親で、彩夏は酷く落ち込んでいたつぐみが心配でならなかった。
 ――つぐみ、大丈夫かな。
 彩夏にも、つぐみの一家に幼い頃からよくしてもらった記憶がある。優しかった船長が行方不明となったのは勿論心配だったが、今は目の前の問題を片付けるのが先だ。
 きっとつぐみのお父さんも顧問の先生も無事だから、心配ないって!

「……よし!」

 かぶりを振って気を取り直し、頬を軽く叩いて気合いを入れる。口元には自然と笑みが浮かんでいた。元気と前向きさ、物怖じのなさ。笑顔が彩夏のトレードマークだ。
 それから少しして、誰も見向きもしないであろうこの物陰に来客があった。キャンプファイヤーの灯りで影を作る二人の姿を認め、彩夏は勢いよく立ちあがる。

「あ、木更津さん!待ってましたよ」
「お待たせ、辻本さん」
「来るの早いな、辻本さん」
「モチですよ!準備万端です」

 彩夏は意気込んで、力こぶを作るような動作をし、任せろと言わんばかりに二の腕をたたいてみせる。どこか誇らしげなその表情に、木更津達は顔を見合わせた。 

「さ、行きましょう!善は急げです」
「そうだね、もう夜遅いし……あまり遅くなると、皆に心配かけるかも知れない」
「特にお前は女子だしな。無理はさせられない」
「そんな、大丈夫ですって!レッツゴー!」

 威勢良く薄暗い森の中へ突き進んでいく彩夏について、双子も歩き始める。虫の鳴く声も聞こえないような暗闇はすぐに三人を飲み込み、そうしてしばらく歩くと、たき火の光さえも届かなくなった。

「真っ暗だな。松明くらい持って来れば良かった」

 亮が暗闇に目を凝らしながらぼやく。それくらい、鬱蒼と茂った木々は視界を覆い尽くしていた。時折木漏れ日のように降り注ぐ月明かりのみが道標だ。

「確か、比嘉中のロッジはそんなに遠くないはずだけど」
「はい。もう少し奥に行ったところに……」

 その時だった。

「しっ、声が聞こえる」

 淳が声を潜め、二人を制した。淳が目を向ける先、立ち並ぶ木々の向こうに灯りが見える。彩夏が耳を澄ますと、確かに微かな声が聞こえてきた。聞き慣れない訛り。それは確かに、彩夏達が探している沖縄比嘉中の選手達のものだった。

「……どうやら、たどり着いたみたいだな。あいつらの塒に」

 亮が、同じく潜めた声で呟いた。足音を立てぬよう慎重に距離を詰め、木陰から様子を窺う。そこには焚き火を囲んで集う比嘉中生達の姿があった。

「……何を話してるんでしょう。取りあえず、お話を」
「待って。いきなりつっこむのは危ない」
「あいつらの様子を見ただろ。まともに取り合ってくれるかどうかすら分からないんだ」
「だけど、行ってみないと分からないじゃないですか」
「……そんな相手に交渉を持ちかけに来たんだよ。だから、僕はーー」

 亮と淳は警戒も露わに言葉を交わす。今日の比嘉中の、敵意に満ちた態度を見ればそれも当然だろう。そうして、次の行動について策をーー。

「たのもう!」

 講じようとした双子の意図は、思わぬ伏兵に裏切られた。亮と淳はあっけに取られ、威勢の良い声と共に木陰を飛び出していく彩夏の背中を見ているしか出来なかった。
 彩夏に向けられたのは、思ったよりもずっと冷ややかな視線だった。比嘉中主将ーー木手永四郎が立ち上がり、腕組みをして彩夏へと足音もなく距離を詰める。焚き火を受けてアンダーフレームの眼鏡が光を返し、目元の表情を隠していた。

「……さっきから何をこそこそしているかと思えば、本土の方々じゃないですか」

 そう言って、彩夏の背後へも一瞥をくれる。木更津の存在にも気づいているらしい。木手に続いて、鬣のような金髪を掻きながら細身の選手が立ち上がる。比嘉中の一匹狼・平古場凛が、バカにしたような調子を隠さず鼻で笑った。

「覗きとか悪趣味やっし。ぬーやが、やったー(何だよ、お前ら)」
「跡部の差し金か?」

 帽子のつばの下から訝しげに視線をくれるのは、比嘉中の副部長ーー甲斐裕次郎だ。普段は人なつこい色を宿すであろう大きな瞳は、今は警戒心も露わに彩夏に向けられている。更にその後ろには、物言わぬ長身痩躯、知念寛が感情を移さない瞳でじっと彩夏を、ひいてはその後ろに身を潜める木更津の様子を見ていた。

「……辻本さん」

 頑として引かず仁王立ちを続ける彩夏の隣に、亮が並ぶ。「コート上の殺し屋」の異名を持つ木手の視線は亮と彩夏を射抜かんとするかの如く鋭利だったが、二人は怯む様子を見せず対峙した。

「跡部の差し金じゃない。俺たちの意志で来た」

 亮が口火を切った。すかさず彩夏が一歩前へ出る。

「そうです!私たちは、あなた達にお願いに来たんです」
「……ほう、お願い?」
「まさか、やったーと仲良しこよししれってか?」

 平古場が、侮るように笑う。

「くだらないですね、話し合うだけ無駄ですよ。……俺達には俺達のやり方がある。行きますよ、甲斐クン、平古場クン、知念クン」
「ま、待ってください!話はまだーー」

 踵を返す木手の背中に、彩夏が慌てて声をかける。しかし、木手は足を止めない。交渉決裂……お願いすら聞いてもらえていないのに。それに、聞きたいこともあったのに。
 彩夏が歯噛みしたその時、スローになった空気を裂くように、冷涼な色を持った声があがった。

「待ってよ」

 それは、突然だった。比嘉中の行く先を阻むように、木陰から姿を現した陰が立ちはだかったのだ。決して目映いとはいえない焚き火の光で揺らぐ空間に、なお燃えるような鉢巻がはためく。
 先ほどから姿が見えなかった双子の弟、木更津淳が比嘉中四人と対峙していた。長い前髪の下から覗く瞳は、しっかと相手を捉えている。

「……これは、君達だけの問題じゃないと思うんだよね」
「淳!」「木更津さん!」

 これは、予定調和だった。彩夏には知らされていなかったが、双子は予めいくつかの考えられるパターンを考え、そうしてチャンスを逃さぬよう策を講じていたのだ。相手がこちらをろくに相手にしていない事を逆手に取った挟み撃ち作戦だった。

「ぬーやが、やー。まじゅん顔やっし」「双子か?」
「……俺達だけの問題じゃないというのは?」

 木手が、目を細めて淳を睨み据えた。「納得できる理由を言ってみろ」ーー刺すような視線が、そう言っている。

「考えれば分かることだよ。ただでさえこんな状況な上、物資や施設も限られてる。その上で別行動をとるのは、お互いの為にならないはずだ」
「誰も協力しろだなんて言わない。ただ、俺達はさっきも言ったようにお願いに来た。それだけだ」

 亮が声を重ねる。声に応じて振り返った比嘉中に、彩夏が詰め寄った。

「ミーティングだけでも良いんです、参加してくれませんか?……あ、それに」

 跳ねた麦藁色の髪を掻き、彩夏は少しだけ眉尻を下げた。

「私たちがここで引いても、後で跡部さんや幸村さんが来ると思いますけど。……さっきはなしてるの、聞いちゃったんです」

 えへ、と笑って彩夏は言葉を切った。木手はその口から出た名前を聞くや否や鬱陶しげに眉を潜め、冷めた言葉ばかり吐き出していた唇を暫し噤んだ。
 暫し、沈黙。再び幕を切り落としたのは、他でもない木手だった。密やかなため息の後、首を縦に振ったのだ。

「……分かりました。ミーティングには参加しましょう」
「やった!」
「永四郎……」

 じゅんにゆたさんばぁ? そう言う平古場は不服げながらも、逆らう意志は更々無いらしい。唇を尖らせて肩をすくめ、喜びに満面の笑みを浮かべる彩夏をみた。
 その喜色に水を差すように、木手が声を上げる。

「ただし。それ以上は何もしませんよ。俺達の見つけたものは俺達が使いますし……情報も同じです。共有するなど以ての外」

 方針を曲げるつもりはないらしい木手を、淳と亮が睨む。しかし彩夏は、それでもいいと力強く頷いた。

「分かってます!けど、約束ですよ。明日の朝からミーティングに来てくれるんですよね」
「二言はありませんよ、しつこいですねぇ」
「感謝しれ、わざわざ行ってやるんだから」
「やったーの顔、拝みに行ってやるさぁ」

 横柄な態度も、彩夏は全く意にも介さないといった風に力強く拳を握る。瞳を輝かせながら、更に念を押した。

「それじゃあ、待ってますから。本当の本当に約束ですよ!」
「俺達も聞いたからな。二言はないんだろ」

 亮が畳み掛ける。淳も続いて、手袋をはめ直しながら木手たちを逃がさないと言わんばかりにまっすぐに見据えた。

「跡部には、僕たちから言っておくから。ミーティングは九時からだよ、遅れないようにね」
「……分かりましたよ」

 今度は深くため息を吐き、木手は短く答えた。

「では、俺達はこれでーー」
「待ってください!」
「今度は何です」

 彩夏の呼び止めに答え、木手が振り返る。

「あの、私……一つ、教えてほしい事があって」
「あい?教えてほしい事っち、ぬーやが」

 首を傾げるのは平古場だ。予想外の事に様子を見守る木更津達より一歩前に出ながら、彩夏は一度大きく深呼吸をした。次に目を開いたとき、その瞳はしっかと木手達を捉えていた。

「比嘉中の皆さんは、海に詳しいんですよね。私たちよりも、ずっと」
「当然です。海の事は知り尽くしている」
「わったーのホームグラウンドだからな」
「だったら一つ……比嘉中の皆さんにお聞きしたいことがあるんです」
「聞きたいこと?」
「顧問の先生と、船長さんの事についてです。先生達は、船長さんは無事だと思いますか?」

 それは、誰もが気になっている事だった。六角中の監督・オジイや、山吹中の判じい。青学の竜崎監督、氷帝の榊監督ーーそして、小日向つぐみの父親であり、豪華客船の船長の事。
 今までとは違う真剣な表情で、彩夏は答えを求めた。縋っていた、という方が正しいのかも知れない。海に触れない自分よりは、きっと比嘉中の人の方がずっと詳しい。きっと状況を把握しているはずだーー彩夏が比嘉中の元を訪れようと思ったのには、そんな思惑も絡んでいたのだ。
 木手は窺うように彩夏を視線で撫でていたが、やがてその真摯な色に負けて、やれやれと首を振った。

「……私見で良ければ述べましょう。この周辺の海流から見て、この島や付近の島に流れ着いているとみて間違いないでしょう」
「本当ですか!」
「ただし」

 木手が冷ややかな声で釘を刺す。しかしその声音の中には、微かな同情と気遣いが含まれているように、彩夏には感じられた。

「無事だとは限らない。ただでさえあの嵐です……船が座礁した事も考えれば、全く無傷でないという可能性も考えるべきだ」
「そう、ですよね……」

 木手の言うことも最もだった。そもそも、全員無傷で流れ着いたこと事態が奇跡のようなものなのだ。最悪の事態が頭を掠める。

「辻本さん……」
「おい木手、お前……」
「下手に夢を見させるよりは、最悪のパターンを想定しておいた方が良い。……確か、アナタの友達は船長の娘さんでしたか」

 にべもない言葉を並べる木手だが、その言葉は正論だ。あんな嵐に巻き込まれて無傷であると考えるよりは、そちらの方がよほど現実味を帯びている。全く姿が見えない事も含めて見れば、むしろそちらの色が濃いように思えてしまうのも事実だった。
 俯いた彩夏に、なおも声を投げかける。

「無理な励ましは禁物ですよ。もしも俺が言った事が現実になった時ーー彼女はもっと悲しむ事になる」
「……でも」

 よもや泣き出すのではないかと心配そうに様子を窺っていた亮と淳の予想とは裏腹に、顔を上げた彩夏の表情は晴れやかだった。

「結局、この島に流れ着いている可能性は高いって事ですよね。木手さんはそう言いますけど……私たち全員こうやって無事なんですから、絶対に先生達も大丈夫です!」
「……アナタ、俺の話聞いてましたか?」
「……変な奴」

 平古場がこぼしたのは、ごく素直な感想だった。
 周囲の視線にもかまわず、彩夏はぐっと拳を握る。

「ありがとうございます、木手さん。比嘉中の皆さんも」
「話は終わりましたか?……とっとと帰りなさいよ、心配されても知りませんよ。俺達に疑いをかけられるのもごめんです」

 そう言うと、今度こそ木手はきびすを返した。

「つき合ってやっただけ感謝しれ」「だからよー」
 
 口々に言いつつ、紫の軍団はその場を後にした。
 力強く笑みを浮かべている彩夏に、双子が歩み寄る。

「俺達も帰ろうか。話も纏まったしな」
「上手く行って良かった。僕は跡部に報告しないと」
「木更津さん、ありがとうございました!きっと私一人じゃ無理だったと思います」

 たはー、と気の抜けた様子で後頭部へ手をやる彩夏、クスクスと含み笑いをする一卵性双生児。先ほどまでの張りつめた空気はどこへやら、どこかゆるんだ空気が焚き火の炎で照らされる空間に満たされていく。

「……しかし、あの木手相手によく言ったと思うよ」
「本当。あんなに睨まれてたのに」
「あはは、正直最初はちょっとビビってました。……でも、どうしても知りたかった事だから」

 彩夏の脳裏によぎるのは、弱々しく笑う親友の姿だった。きっとお父さんは見つかるよ、と自信を持って言いたくて、木手の言葉を仰いだ。
 一瞬浮かべた真剣な色を払拭するように、彩夏は両手を突き上げ大きく伸びをした。かいま見えた一筋の希望に、自然と声も歩調も弾んでいく。

「よーし、明日からも頑張りましょう!」
「クスクス……元気だな、辻本さん」
「クスクス……これから寝るばっかりなのに」
「帰るまでが遠足ってよく言うじゃないですか」
「遠足って」「サバイバルだろ」
「細かいことは気にしない!さ、帰りましょう」

 木々が落とす暗闇に、にぎやかな声が溶けて行く。最初は拒むように見えた暗い陰も、今は不思議と三人を受け入れてくれているように感じた。

比嘉中は積極的に絡めて行きたいです。

2015.1