海と電話とバレンタイン

 思えば、電話口の向こうの様子が、いつもと違ってどこかおかしかった。

 昨夜の電話を思い返し、平古場は考える。窓の向こうには、およそ冬とは思えない緑が生い茂った光景――沖縄の春の訪れは、日本列島本島に比べ大分早い。吹き抜ける風が緑を揺らすのをぼんやりと眺めながら、平古場は欠伸を噛み殺した。

「……凛、凛。いぇー……やー、聞いちゅーんばぁ?」
「……んー?」

 机に頬杖をついたまま、平古場は瞳を上げた。白いブレザーに黒いシャツ、加えてメッシュのスポーツキャップをかぶっているのは、クラスメートの甲斐裕次郎だ。
 甲斐は、心ここにあらずな返事に呆れたように溜息を吐いた。

「何よ」
「『何よ』じゃねーらんど。……次、移動教室だぜ」
「……おー」
「……やー、今日何か変だぜ」
「べっつに……いつも通りさぁ」

 一つ、大きく欠伸を漏らす。大きく伸びをすると、靄がかかっていたような思考が少しだけ晴れるような気がした。
 ――それでも、やはり引っ掛かりはあったのだが。


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『凛さん』
「何よ、彩夏」
『……凛さんは、貰えたら嬉しいものってありますか?』
「貰えたら嬉しい?……うりだばぁ、急に言われてもよぅ」
『あ、すぐに浮かばなかったら良いんです!ちょっと聞いてみたかっただけですから』
「ぬーやが、変な奴」
『あはは!いつもの事です』

 電話口の向こうからは、いつものように元気の良い高い声――辻本彩夏の声が聞こえて来ていた。
 海を越え、更に陸地を走った先に居る平古場が焦がれてやまない少女は、ころころと楽しそうに笑っていた。
 電話の発明者は偉大だと思う。どれだけ距離を隔てていても、こうして近くに感じる事が出来るからだ。

(とか考えたりな)
 こんな事を考えた自分が少し恥ずかしくなって、内心で舌を出した。

『それじゃあ、質問を変えますね』
「おう」
『凛さんは……私に何か貰えたら嬉しいって思いますか?』

 彩夏の声のトーンが、少し下がった気がした。

「彩夏に?」
『はい』
「これに嬉しいっつったら、何かくれるんばぁ?」

 軽い笑いを声に乗せて、茶化す。電波の向こう側で、彩夏も小さく笑った気配がした。

『はい!そりゃあもう、張り切って用意しますよ!』
「はは、うりや楽しみだなー」

『そうとなったら……楽しみにしてて下さいね、凛さん』


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 何が気に掛かったのか。
 今まで特段大きなものの遣り取りというのがなかった彩夏との間に、贈り物の概念が姿を現した事が気になって仕方がないのだと、平古場は思い至った。
 細々とした手紙や、土産物を送ったりはした。しかし、こうして改まってプレゼント――という事は、無人島で別れて以来した事がなかったのだ。

「……ちぇ、いなぐかよ」

 彩夏の事を一日悶々と考えていた自分が女々しく思えて、平古場は人知れず舌打ちをした。

「そーいや、バレンタインだなぁ」

 隣を歩いていた甲斐が、チロルチョコを頬張りながら呟いた。

「……ああ、そういや」
「そういやって、ぬーやが。気付いてなかったんばぁ、凛。やーもチョコ、貰ってたあんに」
「そーだっけか」

 鞄をまさぐると、甲斐の言う通り、確かに幾つかチョコレートが入っていた。新垣を通して数個貰った覚えもある。
 去年まであれほど意識していたのに全く関心が無くなっている自分に気が付いて、思わず口角が持ち上がった。


「そういえば、凛」

 甲斐が、思い出したように言う。

「まだ続いてんだろ?辻本と」
「……まーな」
「そりゃ、他のいなぐからのチョコなんか気にならねー訳だばぁ」
「うっせ、別にそういうんじゃねーしよ」
「照れんなって」

 にやにやと冷やかすような笑みを浮かべながら、甲斐が平古場の肩に腕を回した。

「辻本からも貰えるんだろ?チョコ」
「知らね。……つか、あぬひゃー東京やっし。暫く、顔も見てねーらん」

 口に出すと、彩夏が遠くに居る現実が突き付けられた気がした。甲斐が、鍔の下で眉尻を下げた気がした。


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『凛さん、今日はバレンタインデーですね!』
「おー、そうだな」
『女の子からいっぱいチョコレート貰ったんじゃないですか?ほら、凛さんカッコいいから!』
「貰った」
『うわっ、正直!嫉妬しちゃいますよ、もう!』

 壁に背を預け、いつものように電話を耳に宛てる。既に日課となった彩夏との電話は、毎日しても飽きる事はない。
 電話の向こうで怒った様子を見せた彩夏だが、すぐにいつものように笑って「冗談です」と言った。

『凛さんがモテるのは、彼女として嬉しい事ですからねー。うんうん』
「うんうん、じゃねーらん。ふらー」
『あはは。……あ、そうだ、凛さん』
「ん?何よ」
『私、凛さんにプレゼント送ったんです』

 彩夏の声が、楽しげに弾んだ。

『昨日言いましたよね、プレゼントの事』
「あー、あびてたやぁ。……で、何送ったんばぁ?」
『秘密です』
「えー、教えれ」
『えへへ。……もうすぐ届くと思いますよ、全力で、速達よりも早く届くようにしましたから』
「なーにあびとーや」

 思わず失笑する平古場に対し、彩夏はうきうきとした調子で笑う。

「やーに直接貰えねーと、意味ねぇらんどー」
『まあまあ、もうちょっと待って下さいって。……あ、そろそろ届くんじゃないですか?』

彩夏が言った丁度その時、ドアホンが響いた。
反射的に立ち上がり、他の家族が出る前にと階段を駆け下りる。

『凛さん、私』

 廊下を駆け、玄関へ向かう。騒々しい足音に姉が居間から顔を出した。

『ずっと凛さんに会いたかったんですよ』
「……彩夏」

 玄関のドアに手を掛け、そして――

「だから、会いに来ちゃいました」

 鼓膜を揺らす声。正面の少女から発せられる声。それらが重なって、平古場はまるで今が現実でないかのような錯覚にとらわれた。

「彩夏……やー、何で…」
「あー、えっと……凛さんには秘密にしてたんですけど、お父さんの仕事の都合でこっちに来る事になってて。……昨日、東京を出発したんです」
「……っ!ふらー…」

 大きな瞳、懐っこく笑う口許、前よりも少し伸びた黒髪。まごう事なき辻本彩夏が、そこにいた。
 鼓動が速まる。喉が詰まったように声が出ない。――通話を切るのも忘れて、考えるよりも早く、平古場は彩夏を抱き締める。それに驚いたのか、彩夏は慌てたように身を縮めた。

「り、凛さん!ちょっと、苦し…」
「……そういうのは早く言えっての…」
「ごめんなさい、でも驚かせたくって」

 ここが玄関先である事を思い出し、ぱっと腕を解いて彩夏を解放する。肩越しに振り返り、やじ馬たちが居なかった事を確認すると小さく胸をなでおろす。

「あ、そうだ」

 彩夏が、思い出したようにポーチを探った。
 そうして、可愛らしくラッピングされた包みが平古場の前に姿を現す。

「これ、凛さんに渡そうと思って」
「……あー」

 平古場は、片手で顔を覆った。色々な事が一度に起こって、処理が追いつかない。

「ハッピーバレンタイン、凛さん!…これから、ずっと一緒ですからね」
「……やーには敵わねえやぁ」

 そっと、包みを持つ彩夏の手を握る。
 驚いたように丸い目を更に丸くした彩夏だったが、やがて、頬を染めて照れたように笑った。

 やっぱり、こいつの事が好きだなぁ。掌に伝わる体温に、平古場は今この瞬間の幸せを噛み締めた。

「かなさんどー、彩夏」

彩夏ちゃんがすぐに転勤しないパターンの妄想が好きです。

2015.2.14