とある天才騎手と令嬢の話

 ジョニィ・ジョースターは、はるか遠方からやってきた、ジョースター家の遠縁の親戚である。
 数年前までは一流の天才ジョッキーとして世界に名をとどろかせたものだが、それゆえの驕り、傲慢、人の恨みを買って下半身不随になってしまった。今ではもう、馬に乗ることさえもままならない車椅子の生活だ。


 彼は、不慮の事故で兄を失って以来、父親とは不仲だった。元々厳しい父親とは折り合いが悪かったが、その二人の間に入ってクッション役を果たしていた兄のニコラスが亡くなったことで、関係がさらに悪化したのだ。
 父親は優秀なジョッキーであったニコラスに目をかけ、可愛がっていた。父にとって、出来の良いニコラスは自慢であり誇りでもあったのだ。ニコラスが亡くなった後も、父はニコラスの部屋を訪れては、兄在りし日のトロフィー、乗馬靴――遺品に囲まれながら思慕に浸っていた。

 ある日、彼が家を離れる決定的な出来事が起こった。
 ジョニィ――ジョーキッドが、宿敵ディエゴ・ブランドーに挑むレースの日だった。その日に限って、ジョニィが気に入って使っている乗馬靴の底が抜けてしまった。ジョニィはそれが気に入っていたので、他の靴は全て新品で、どうにも代わりに履く気にはなれなかった。
 だから、ジョニィはニコラスの部屋に向かった。そこには、兄が使い込んだ乗馬靴がある。今日くらい、借りてもいいだろう。数足ある靴を選んでいると、父がやって来た。

「何をしているんだ」

 父の声には、温度も温情も、息子に向けるべきそれは欠片もなかった。ただ、美しい思い出をおかす者。ジョニィに向けられたそれは、冷やかに彼の鼓膜を突いた。
 ジョニィが何か言い返す前に、父がジョニィが手にしていたニコラスの乗馬靴に目を付けた。見る見るうちに、表情が硬く、冷たくなっていく。
 ほんの小さなきっかけだった。靴の底さえ抜けなければ、ジョニィはまだ二本の足で大地を踏みしめていたかもしれない。
 壮絶な言い争いが起こった。「今日くらい貸してくれてもいいじゃないか」とはジョニィの言い分。しかし、父は決して良しとはせず、首を縦に振ることは無かった。それどころか、ジョニィから靴を取り上げようと掴みかかって来たのだ。

「やめろ、離せッ!」

 無我夢中になって、力任せに父を突き離した時――不穏な手ごたえとともに、ガシャァン、という鋭い音がした。みるみるうちに、床が血の海になっていく。父がガラスに突っ込み、その破片は容赦なく父に襲い掛かり、首を切り裂いたのだ。酸素をふんだんに含んだ鮮血が、正しい行き場を見失って勢いよく噴き出す。
 その思いもせぬ状況に恐れおののきつつも差し伸べたジョニィの手は、血に塗れた父の手によって振り払われた。
 昔からあった小さな軋轢が、決定的なひび割れとなって親子の間に現れたのだ。
 その日から、ジョニィは天涯孤独の身となった。

 一人になっても、ジョニィは天狗だった。なにせ、天才ジョッキーで、金にも女にも困らない。しかし、それゆえに人の恨みを買った。好き放題する人間に、相応に科せられる『対価』。侍らせた女性の目の前で、ジョニィは弾丸にその体を貫かれた。
 「積もり積もった恨みの結晶」ともいうべき、下半身に叩き込まれた鉛玉は、確実にジョニィの神経を傷つけていた。まともに立つことはおろか、感覚すらもないのだ。
 『半身不随』。それが、ジョニィに与えられた試練だった。そして同時に、その精神的外傷は彼に「人間不信」の種を深く植え付けた。

 そんな時だ。
 病院を退院し、やることもなく、車椅子を押しながらかつての栄光で稼いだ金を食いつぶす日々。ある時、ジョニィはレストランで「エリナ」という女性に出会った。入口の段差に車輪が引っ掛かって難儀している彼に、彼女が救いの手を差し伸べてくれたのだ。
 何でも彼女は、父についてこの国へ一時的に滞在しているらしい。成り行き上一緒に食事をし、少し会話もした。久しぶりにまともに人と会話をしたので、すっかり頭が回らなくなっていたが――それでも、彼女は優しく笑いながら聞いてくれた。

「あなた、お名前はなんというの?」
「ぼくは……ジョニィ・ジョースターです」
「まあ、ジョースターですって?」

 エリナの反応は、ジョニィにとって意外なものだった。まさか「知っている」というような反応が返ってくるとは思わなかったのだ。
 彼女によると、彼女の恋人の姓が「ジョースター」というらしい。ひょっとしたら血縁があるかもしれないわね、と彼女は嬉しそうに言った。
 その日はそのまま食事を終え別れたが、ジョースターの姓を持つジョニィに、エリナは興味を持ったらしい。何かあったら連絡して、とエリナが滞在するホテルの部屋番号と電話番号を渡された。それをどうすればいいかジョニィにはわかりかねたが、一応受け取ってお礼を言っておいた。

 それから何度か、ジョニィはエリナと会った。会うたびに会話を重ね、親密な仲にはなったが「そういう気配」は微塵もなく、むしろきょうだいのような関係になっていった。エリナは、まるで弟に対するようにジョニィに接した。ジョニィも、だんだんと警戒の姿勢を解いていき、エリナに身の上を話すようになっていった。

「ぼくは下半身不随だし、父さんにも勘当されて身寄りがないんだ。好き勝手やっていた報いだよ。全くいいざまだ」

 そう、自嘲的にジョニィは言った。

「ぼくは元々必要とされてなかった。父さんは、兄さんしか見ていなかったんだ」
  
 車椅子をゆっくりと押して散歩をしている中。エリナは眉を下げて星模様の帽子の向こうにあるジョニィの顔を見下ろした。

「そんなことはないわ。きっとお父様だって……」
「いいや、父さんはぼくなんて眼中になかった。叱られた記憶しか残っていないよ。父さんが愛情というものを持っていたなら、それは全て兄さんに対して注がれていた。結局、ぼくには兄さん以外に本物の家族なんていなかったのさ」
「ジョニィ……」

 ジョニィの顔には、何の表情も貼り付いていなかった。氷のように冷たい言葉が、はるか遠くの父に向けられている。
 ああ、この子は本物の「愛情」を知らないのだ。エリナはそう悟った。心優しく慈悲深いエリナは、彼の心の闇を敏感に感じ取ったのだ。孤独な姿勢を貫くジョニィの姿にとても悲しくなって、エリナはジョニィの頭を優しく撫でた。

「家族ならいるわ、ジョニィ」
「何を……」
「調べてみたの。わたしの恋人の一族とあなたは、かなり縁遠くはあるけど『親戚』という間柄だったわ。身寄りがないなら、血縁関係のある人の所に身を寄せればいいわ」
「いきなり何だよ。いくら親戚だからって、こんなぼくを受け入れてくれるわけがないじゃあないか」

 肩越しに振り返ったジョニィに、エリナは笑顔で首を振った。

「大丈夫よ。きっと大丈夫」



 ゴォッ、と巨大な物体が空を切る音が耳に痛い。分厚い壁を何枚も隔てているというのに、それはやけにやかましくジョニィの耳を突いた。
 ジョニィの住む町から最寄りの空港。荷物は最低限、まとめるものも少なく、車椅子ながらも特に難儀することは無く目的の場所にたどりつくことができた。
 あれから、エリナは遠縁の「ジョースター」にかけ合わせ、彼女の「ジョニィをジョースター家に置きたい」という提案はあっけない程にあっさりと承諾された。その報告に戸惑う暇もなく、あれよあれよという間に話は進んで、ジョニィが遠縁の親戚の元へ旅立つ日がやってきた。飛行機の手配は全てエリナがしてくれた。
 後から知った話だが、エリナの家「ペンドルトン」は医者の家系で、普段はジョースター家が住む町に住んでいるらしい。エリナが計らったのは表面上の「留学」だけではなく、彼の下半身不随の治療も兼ねているようだった。
 エリナはもう少し滞在した後に帰国するらしい。ジョースター家までの道のりは全て詳細に書かれた紙を渡された。

 係員に車椅子を押してもらい、スロープを上りながら、ジョニィはつい先ほどまで暮らしていた町を振り返った。空港が邪魔をして見えなかった。
 まあ、いいさ。たいした思い入れもないし――むしろ、半身不随に追い込まれた不運の町だ。

 エリナが言う「ジョースター家」の人たちは、どんな人たちなんだろう。期待と不安に胸中がざわめく。飛行機のエンジン音を聞きながら、ジョニィははるか遠い地に思いをはせた。

ジョニィがジョースター家を訪れるまで。
2010.6