親子というもの

 船で遠ざかっていくジョセフと承太郎を港で見送ったのは、もう1か月も前のことだ。
 クレイジー・ダイヤモンドによってジョセフから奪い取った財布を手に大手を振りながら、仗助は小さくなる船をいつまでも見送っていた。水平線に向かって海を走る船は、どんどん小さくなって、ついには豆粒のようになって、やがては完全に仗助の前から姿を消した。それでも仗助は港に立ったまま動かなかった。
 潮風が、静かに仗助に吹き付けていた。


「うわっ、何これ……」
「何これとはずいぶんな言いようだな、康一」
「しかし、こりゃあ相当ひでえぜ。おれの部屋だって、もうちっと綺麗だ」

 仗助の部屋を覗いて絶句したのは、康一だ。むっとして口をとがらせる仗助だが、億泰も康一と同じような反応を示してバッテンに皺を寄せながらうなずく。まさか億泰にまで言われるとは思っていなかった仗助は、続く言葉を失ってしまった。
 部屋の中は、まるで爆心地のようだった。ベッドの上には雑誌が広がっているし、シーツはぐしゃぐしゃ。枕なんてどこにあるかわからない。床の上にも雑誌、スタイリング剤の空容器、アクセサリー、脱ぎ捨てたパジャマ、靴下――足の踏み場もないというのは、まさにこのことだろう。部屋の真ん中に据えられた机の上も同様だ。

「勉強会って言ったけど……これじゃあ、勉強どころか部屋に入ることだってできないじゃあないか!」
「安請け合いしやがってよォー。こんななら、図書館なり何なり使えばよかっただろーがよー。康一の家だって、あるぜ」
「ぼ、ぼくの家はちょっと……」
「何だぁ? お前の部屋も散らかってるのか?」
「違うよ! ……母さんと姉ちゃんがちょっとうるさいから。それに、由花子さんが急に来たりするし……」
「げっ、あの山岸由花子かよ? こりゃあ行きたくねぇー」

 汚い部屋だなーとしつこく言いながら、康一と億泰は言い合いを始める。
 こんなことなら、連れてくるんじゃなかったぜ……。仗助は少し後悔する。――しかし、自分では気にならなくても他人にとっては相当に汚い部屋に映るらしい。これ以上部屋の汚さにコメントをもらうのもごめんだったので、仗助は二人に提案した。

「じゃあよォ、どうする? 今ならまだ時間あるし、カフェでも行くか?」
「いや、ここまで来といて帰れっつーのかよ?」
「じゃあ、どうするんだよ」
「ぼくたちも手伝うからさ、一緒に部屋を片付けようよ、仗助くん……きみ、放っておいたらずっと片付けないでしょ」

 返す言葉もない。仗助に部屋を片付ける予定はなかったからだ。今までは仗助が学校に行っている間母親が片付けていたが、こう何度も間をおかず散らかされるとたまったものではなかったらしい。いつの間にやら、部屋が片付いていることはなくなった。
 康一は、すっかりやる気だ。億泰はと言うと、面倒臭そうではあるがただで帰る気はないらしい。
 無駄だとは思いつつ、仗助は一応小さな友人を見下ろして尋ねる。

「でもよぉ、いいのか? テスト前だぜ、こんなことで時間くって」
「よくあるでしょ。テスト前に限って、部屋の片づけをしたくなること」
「あれって、つまりは現実逃避じゃあねぇーか?」
「いいんだよ、億泰くん。みんな、テスト前には心の平穏を求めてるんだから。いい気分転換さ」
「気分転換、ねぇ……まっ、しかたねーなー。夕飯くれーは出してくれるよな?」

 言いつつも、億泰も乗り気になってきたらしく制服の腕をまくった。勉強嫌いの彼にとって、勉強よりも優先で切る事柄が見つかって、逃げる口実が出来てうれしいのだ。
 
「それじゃ、失礼しまーす……うわっ、本当に足の踏み場もないね」
「だから悪かったな、康一。あ、それは踏むなよ、まだ中身あるから」
「取りあえず、洗濯ものだけでも洗濯機に持って行こう。それだけで少しは片付くよ」

 康一は、テキパキと脱ぎ捨てられたパジャマを拾い上げた。いつ着たものなのか、Tシャツやジャージ、靴下や、風呂場から持ち込んだらしいタオルもつまみ上げる。仗助に風呂場の場所を聞いて、康一は洗濯ものを腕いっぱいに抱えて部屋をふらふらと出て行った。

「そいじゃ、適当にかかるとしますか。おれも、片付けっつーのは苦手だけどよぉ……」

 億泰は、散らかる雑誌などの障害物など気にせず、ベッドの前へと歩いて行く。そしてそのまま、しゃがみ込んでベッドの下を覗き込んだ。バッテンはにやにやと下卑た笑みを浮かべている。

「一冊くらい、あんだろ〜?」
「……何がだよ? 億泰、何探してんだ」
「何って、エロ本」
「あるわきゃあねーだろうが!」
「何だよー、つまんねぇの」

 億泰は本当につまらなさそうに言って体を起こす。それから無造作に床に広がっていた雑誌を拾い集め始めた。部屋の主の自分が、何もしないわけにはいかない。気はあまりのらなかったが、仗助もゴミの大部分を占めるスタイリング剤の空容器から処分しようと手を伸ばした。
 康一が戻ってきたとき、手に洗濯物のかわりに大きなゴミ袋を持ってきた。下で仗助の母――朋子と会ったらしい。
 部屋に散らかっているものはほとんどがお菓子の袋であったり空容器であったり読み終わった週刊誌であったりしたので、ゴミ袋がいっぱいになる頃には、部屋も大分広々片付いた。外はすっかり夕焼けだ。
 億泰が大げさに腰に手を当て、大仰に額を拭うしぐさをしてみせる。

「ひゅー、大分綺麗になったなぁ。やっと部屋らしくなったぜ」
「本当、こう見ると結構広いんだね。あとはちょっと棚の埃とか払えば終わりだ」
「ああ、サンキューな、二人とも。ジュースでも持ってくっから、適当にのんびりしててくれ」

 仗助はそう言って部屋を出て行った。
 一方で康一は棚の上から細かい埃を払い落していた。棚の中身は、意外にも整然と整っている。きっと手つかずのままなのだろう。ずらっと並んだヤンキー漫画の中に混じって、康一がしつこく勧めた甲斐があってか、仲間のスタンド使い岸辺露伴作の『ピンクダークの少年』が数冊並んでいた。
 億泰はこれ以上やる気がないようで、くつろぎきっている。ベッドの上に胡坐をかいて、肩をぐるぐると回していた。

「あれ、何だろう、これ……」

 あるものを目にして、康一は思わず呟いた。仗助の部屋にはあまりにも不似合いなものが、棚の中にしまいこまれていたのだ。康一の声を聞きつけた億泰がベッドから降りて、屈みながら歩み寄ってきた。

「どーした、康一。何か変なものでもあったか?」
「変っていうか、これなんだけど……仗助くんらしくなくない? これ」
「ああー、確かにアイツらしくねぇーな。どっから持って来たんだか」

 康一が指さしたのは、よく使いこまれた革の財布だった。とてもじゃあないが、仗助が使うとは思えない高級そうなデザインものだ。康一はためらっていたが、億泰はそれを目にすると同時に目を輝かせてひょいと財布を取り上げてしまった。

「あっ、ダメだよ億泰くん! 勝手にさわっちゃあ……」
「へっへっへ、いいじゃあねーかよ見るくらい。なーんか金の匂いがすんだよ、この財布」
「まったくもう……仗助くん怒るこわいんだから。……少しだけだからね」
「康一ィ、お前も悪よのぉ〜。どれどれ」

 遠慮なんてかけらもなく、億泰が折りたたみ式の財布を開く。

「おおっ、結構入ってんじゃあねーか。だが、こりゃあ……ドル札か?」
「ドル? じゃあ、仗助くんの財布じゃあないね。あっ、ひょっとして……」
「ひょっとして、何だよ?」
「ジョセフさんのじゃあ、ないかな?」
「ああー、そうかもな。あのジイさんアメリカ人だしよぉ。あれ、他にも何か入ってら」

 億泰がつまみ上げたのは、写真の端っこだった。大事そうにおさめられた写真はするすると引っ張り出されていく。その時、どたどたと音がした。仗助が戻ってきたのだ。
億泰は慌てて写真を引っ込め、財布をたたむ。康一は“僕は関係ないんです!”と主張できるように財布からぱっと身を離した。億泰は財布を持て余しててしまっている。ほどなくしてドアが開き、仗助がコップの乗った盆を持って部屋へ入ってきた。途端、違和感に気付いてじろりと棚の近くで固まっている億泰を斜め下からねめつける。

「ん? 何してるんだよ、おめーら……あっ!! 何勝手に触ってんだテメーらっ!」
「ごっ、ごめん仗助くん! つい、出来心で……」
「中身見ちゃあいねーだろうな!?」

 康一の謝罪を聞きつけ、盆をジュースがこぼれる勢いで机に叩くように置くと仗助は億泰の手から乱暴に財布を取り返す。億泰はその剣幕に驚いて目をしばたたいた。

「わ、悪ィ。けど、中身は見てねーよ……」
「そうか。そんならまぁ……いーんだけどよォー」

 仗助はいくらかほっとしたようだった。下唇を突き出して言いながら、使い古された革財布を壊れ物でも扱うように持ち直し、大きな体からは想像もできないくらいやさしく財布の表面を払う。そんな仗助に、億泰がふらふらと歩み寄った。

「勝手に触っちまって、悪ィな。大事なモンなのかよ?」
「うん、まぁ……そうだよ。悪いかよ、あぁ?」
「悪かねーよ。うん、悪かねー。だから、ンなガン垂れんじゃねーよっ」
「ったく……もうテメーら二人じゃあ部屋に残さねえぜ」

 グレートにアブなかったぜぇー。内心で冷や汗を拭いながら、仗助は財布を元あったように棚の中へと戻した。一見は古い革財布だが、仗助にとっては大事なものなのだ。

「そ、それじゃあ、もう時間もないし勉強会始めようか! 由花子さんにミッチリ教え込まれたからね……大抵のことは教えられるよ」
「おおっ、マジか! 頼んだぜ康一くんよォー。追試なんてゴメンだぜ」
「康一、お前も苦労してるんだな……」

 教科書を鞄から引っ張り出して広げながら、仗助はちらと財布にもう一度目をやった。



 思い出されるのは、ジョセフと別れた1か月前だ。小さくなる船にこみ上げる、何とも形容しようのない感情。生まれてから一度も会ったことのなかった年老いた父との、実に16年ぶりの出会い。
 はじめは「父なんていらない」と思った。けれど、彼は仗助が思ったよりもずっと父だった。
 一緒に吉良を追ううちに、いつしかずっと閉じ込めていた感情があふれだした。父に対する愛情。朋子は、ジョセフにとって「愛人」という、本当の家族よりもずっと“薄い”繋がりだ。けれどジョセフは、仗助を本物の子供と何ら変わらず接してくれたし、杜王町に滞在した短い間に色々なことを話してくれた。カッコつけようとして死のうとまでした。
 共にする時間の中で、“他人”は、いつの間にか“家族”になっていた。

 別れるとき、仗助にこみ上げる感情の意味はよくわからなかった。
 けれど、今は分かる――あの時はわからないながらも、その奇妙な感情をごまかすために、仗助は最後にジョセフの財布を盗みだした。今も、悪いことをしたとは思っていない。あれが、仗助にとって精いっぱいだったのだ。

 ――最後くらい、息子らしくふるまったっていいじゃあねえか。とびっきりの馬鹿息子をよ。

「ったくよォー……」

 言えるわけねーだろ、甘えたかっただなんて。
 だから、死ぬ前にまた会いに来やがれ。くそジジイめ。
 そんときゃ思いっきり甘えてやるよ。親孝行する息子っつーのも、グレートだろ?

ジョースター家の家族の絆について。
2009.8.19