トト神の余地は絶対です、ハイ。

 砂壁づくりの町は一見貧相に見えるが、設備は十分に整っている。砂漠の町中の町の病院に運び込まれた患者は、一時は弾丸に脳天を抉られ生死の境をさまよっていたものの、今では意識を取り戻し動けるようにまでなった。けれど、安静を強制されてベッドにはりつけになっている患者――ホル・ホースは固いベッドの上で暇そうに大あくびをした。

「ボインゴ、ボインゴよォ〜」

 ホル・ホースの隣、薄いサテンのカーテンを隔てた先はボインゴのベッドだ。このとても臆病な少年は、ホル・ホースのことを嫌悪はせずとも恐怖の対象としてみていた。今もホル・ホースの声を聞いて、びくりと身を震わせると薄い布団をかぶってしまう。
 返事がないのに痺れをきらし、ホル・ホースはカーテンへと手をのばして隣を覗き込んだ。こんもりと膨らんで震えているベッドの上の布団を見て、ホル・ホースは加えたたばこをくゆらせながら小さく息をついた。(ただし、火はついていない)

「そんなにビビらなくてもいいだろうがよォー。おれはなーんも怒っちゃいねぇぜ」
「で、でもっ……」
「……ハァ……」

 ホル・ホースは、少しでもこの暇を紛らわそうと、何度もボインゴにコンタクトを取ろうとしていた。だがボインゴはびびって隠れるばかりで、一向に顔すら合わせようとしない。一緒に承太郎たちを始末する任務に就いた時は、相当の勇気を振り絞っていたのだろう。
 仕方なくホル・ホースはベッドから降り、スリッパを履くとベッドを離れた。

「何ぞ飲み物でも買ってくるぜ。ついでに欲しいもんはあるかい、ボインゴ」

 ボインゴは当然のように、答えなかった。
 廊下の端にぽつんと置かれている自販機でコーラを一本買い、ちびちびとキツい炭酸を口に含んで楽しみながらベッドに戻ると、ホル・ホースのベッドの上に本が広がっていた。ボインゴのスタンド、未来予知能力「トト神」の漫画があらわれる本だ。ムック本のように大きな本の白いページには、新しく漫画があらわれている最中だった。

「うん? こりゃあ、トト神じゃあねえか。どういうこった、ボインゴ?」
「あ、新しく漫画があらわれたです。ハイ」

 コーラの缶をベッドのサイドテーブルに置くと、ホル・ホースはトト神を手にとってベッドにどっかり腰かけた。

『ぼくボインゴ! 任務に失敗して、意地悪ホル・ホースと一緒に入院してしまいました。クヤシィーッ! 病院のベッドはとってもとっても暇。ボインゴはベッドから抜け出したい! けれど、隣はなんと意地悪ホル・ホース。すっごく怖くて、ボインゴはベッドから出ることもできません……』
「こんなこと考えてたのか、おめー……」

 ホル・ホースはくわえた煙草の隙間からため息をつき、次のページをめくった。

『きょうのお昼ごはんはボインゴの大好きなお魚だーっ! ヤッター! けれど、意地悪なホル・ホースは何とボインゴのお昼ごはんをひっくり返してしまったのです!』
「あぁ? 何だこりゃあ……」

 そんなことする気はないのに……。思いながらも、ホル・ホースはするすると目を下げて読み進める。

『すると、ボインゴのご飯はゴージャスに早変わり! ヤッタね!』
「おれがンなことするわけねえだろうがよぉ〜……だが」
「とっ、とと……ト」
『トト神の予知は絶対です、ハイ』

 ホル・ホースとボインゴの声がかぶった。ホル・ホースはボインゴと任務を共にする中で、その予知の的中率をしっかりと目視している。信じないわけではないが――。

「だが、おれぁそんな底意地の悪ィことは……ん? まだ続きが……」
『ホル・ホースがご飯を食べていると、美人の看護婦さんがやってきました。するとホル・ホースは、いきなりエンペラーで看護婦さんの頭を狙い撃ちだーっ!』
「んなっ……おれに看護婦を殺せっつーのか! ザっけんな!」
「ひぃっ……。でも、でも……ぼくの予知は……ひゃっ、ひゃくパーセントなんです。ハイ」

 承太郎一行を殺すのにためらいはないが、それ以外の一般人は話が別だ。
ホル・ホースはボインゴに怒鳴ると、トト神の漫画をボインゴのベッドに向かって放り投げた。くぐもった悲鳴が、カーテンの向こうから聞こえた。
 ほどなくして、昼食を配りに看護婦がやってきた。ベッドに備え付けられた折りたたみ式のテーブルに、昼食の乗ったトレーが置かれていく。ボインゴの漫画が予知したとおり、昼食は魚料理だった。

(さて、次はボインゴの昼飯をひっくり返すってことだが……)

 昼食の時間は、カーテンが開け放される。隣のボインゴも、この時だけは布団からはい出していた。

(何でおれが、こんなガキのメシを横取りするようなつまんねーことをしなきゃなんねーんだ)

 ホル・ホースはボインゴを横目に昼食の器へ手を伸ばそうとした。看護婦は他の患者へと昼食を配りに行っている。と、ふと目をやったボインゴのスープの中に、ちらりとうごめく黒いものが見えた。あれは――。

「皇帝(エンペラー)!」

 一瞬のうちに、ボインゴの料理はトレーごと吹き飛んだ。ホル・ホースのスタンド、エンペラーが撃ち抜いたのだ。突然の騒音に、病室内は騒然とする。ボインゴは顔を真っ青にしておどついていた。

「どうされましたか!?」

 驚いて駆け寄ってきた看護婦に、ボインゴはホル・ホースを指さして見せた。逃げようがなくなり、ホル・ホースはしどろもどろに言い訳をしようとする。

「い、いや……これは……」
「ホル・ホースさんですね? どうしてこんなこと……きゃああ!」

 看護婦は怒ってひっくり返った料理を片付けようと屈みこんだが、悲鳴をあげてぱっと身を引いた。ホル・ホースが立ち上がってベッドとボインゴ越しに覗きこむと、ひっくり返った容器の下から、スープにまみれてはい出してくる大きなクモがいた。

「ど、毒グモだわ……。こんなものを食べさせようとしていたなんて! ごめんね、坊や」
「い……いいんです、ハイ……」

 看護婦によってクモは殺され、ボインゴのもとには新しく昼食が運ばれてきた。お詫びに、ということで、普通の料理よりもちょっとだけ豪華なものだ。ジュース付きで、魚料理に国旗つきのつまようじも立っている。
 嬉しそうに昼食に手を伸ばすボインゴを横目に見ながら、ホル・ホースは次の予言について考えていた。確か、ホル・ホースが看護婦の頭をエンペラーで撃ち抜く、というものだ。一対一ならまだしも、病院という大勢の人が集まる施設内でのごたごたは避けたかった。
 
「ボインゴよぉ〜……」
「……なっ……なんです……?」
「しつこいようだが、おめーの予知は絶対なんだな?」
「絶対……です、ハイ」
「そうか……」

 スープをすすりながら、ホル・ホースはうなった。今回は時間指定はない。きっと外れはしないだろう――これから起こるであろう騒動を悪い方向に考えていると、美味い飯も不味くなる。
 ダンボールでも噛むように魚料理を食べていると、看護婦がカルテを手にやってきた。予知どおり、かなりの美人だ。看護帽と服がよく似合っている、清楚な女性だ。数刻後には、この女性の頭を撃ち抜くのか――考えて、ホル・ホースはうんざりとため息をついた。
 ホル・ホースはプレイボーイだ。世界中にガールフレンドがいるし、全ての女性は好意を向け尊敬する対象でもある。そんな 自称“世界一女に優しい男”ホル・ホースが、女性を殺すだなんてとても考えられることではなかった。
 看護婦が近づいてくる。カタカタと、ホル・ホースの左手が震えだした。衝動がわき上がってくる。
ホル・ホースの意思とは無関係に、左手が持ち上がった。エンペラーが現れる。ホル・ホースが止めようとするよりも早く、人差し指はエンペラーの黄金の引き金を引いていた。

「やめやがれぇーっ!」

 ぴたりと女性の額にすえられていた照準が、発射の瞬間、少しだけホル・ホースの意志によって上へとずらされた。ガァン、と発砲音と共に弾丸が飛び出す。普通の人間には見えない弾丸は看護婦の看護帽の端を撃ち抜き、壁に弾痕を残して消えた。

「な、何ですか今の音は?」
「あー、いや、何だ。空耳、じゃあねえかなぁ」

 スタンドが見えない看護婦は、何が起こったかわからずきょろきょろとあたりを見回す。と、看護婦の頭から何かがぼとりと落ちた。足元に落ちたそれを見て、看護婦は絹を裂くような悲鳴を上げた。
 それを確認したホル・ホースは小さく目を見開く。

「こりゃあ……さっきの毒グモの仲間じゃあねえか」
「ど、どんな手段かはわからないけれど、わたしにくっついていたこいつを見つけて殺してくれたのね! ありがとうございます!」
「い、いや、感謝されるようなことじゃあねーや」

 ホル・ホースにしきりに感謝しながら、看護婦は検査を終えると病室を出て行った。
 火のついていない煙草をもぐもぐと動かしながら、ホル・ホースは今の出来事を思い返していた。ホル・ホースが自分の意志で軌道を反らすことまで予知に盛り込まれていたのだ。まったく恐れ入る。
 
「予知は……当たりました。ハイ」
「ああ、信じられねえ。……あー、何だ。疑って悪かったよ」

 ボインゴは小さく身を縮めるだけで、布団にもぐりこむことはしなかった。初めて、面と向かった会話が成立している。

「ところで、続きはあるのか? 見せてくれよ」
「あっ……続きは、まだ出てないです……ハイ」
「そうか。……まぁ、気が向いたときにでも、また見せてくれや。あの看護婦ともお近づきになれたことだし……ありがとよ、ボインゴ!」

 ホル・ホースを横に見ながら、ボインゴはトト神の漫画をぱらりと開いた。続きのページに、数コマ絵が浮かび上がっている。“続きがまだあらわれていない”というのは、嘘だった。

『なんと、ホル・ホースがボインゴに向かって感謝したぞー! ウッソー! なんだか最近ホル・ホースはボインゴにやさしいです……。あれれ? ボインゴはちょっとだけ、ホル・ホースが怖くなくなったのでした!』

 このページは、決してホル・ホースに見せることはないだろう。
 ボインゴは静かに本を閉じると、きゅっと強く本を抱き込んで小さく微笑んだ。

2009.8