夢のあとで

 夢を見ていた。とても楽しい夢だったような気がする。
 だけれど、夢というのは目が覚めたと同時に消えてしまうものだ。目を開けると、背中がまずぎしりと痛んだ。どうやら、仕事で書類を整理している途中で眠り込んでしまったらしい。頬を机にくっつけて寝ていたので、頬が少し赤くなっていた。
 とりあえず下の階へ降りていくと、リビングで寛ぐプロシュートと出くわした。

「楽しい夢を見た」
「いきなり何を言い出すんだ、リゾットよォ? 寝ぼけてんのか、俺らのリーダーは」
「いや……なんとなく、言いたくなったんだ。とても、いい夢だった」
「そうかい、それはよかったな」

 ソファにどっかり座ってワインを飲んでいたプロシュートに時間を尋ねると、深夜の3時だと言った。どおりで、リビングがしんと冷え切っているはずだ。他のメンバーはとっくに眠りについているらしい。
 プロシュートの目は、古いブラウン管を映していた。

「お前は寝ないのか?」
「俺は任務から帰ったばかりなんだ。少しくらい飲んでもいいだろ?」

 プロシュートは少し酔っているのか、据わった目をリゾットに向けた。そういえば、プロシュートは昨日から任務に出ていて不在だったのだ。確か、今回はパッショーネの地位を狙う馬鹿な組織の要人を殺し、組織を潰すことだった。それを一人でやってのけるプロシュートは、やはり強い。
 そして彼は任務から帰るとまずはワインを嗜む。ワインを好むプロシュートにとって、これは疲れをいやすための癒しの一つなのだった。ぐい、とリゾットに向かってワインの黒い瓶が突き出される。何のつもりだ、と言うまでもなく、彼の言いたいことはわかった。伊達に数年の付き合いではない。

「たまには一緒にどうだ、リゾット」
「ああ、じゃあ少しもらおうか」

 断るのも、野暮というものだ。また一つ、偉業を成し遂げた男の誘いをふいにするのは気が引ける。リゾットはダイニングの棚から適当にグラスを引っ張りだすと、遠慮なしにプロシュートの隣の空いているスペースに座った。思い切りふんぞり返ってソファの背もたれにもたれていたプロシュートが身を起こし、リゾットのグラスにワインを注ぐ。普段飲んでいる血のように真っ赤な赤ワインではなく、今日は抜けるような白ワインだった。

「グラッツェ」
「ああ……しかしアレだな。酒っつーのは、いい。全部忘れられる」
「……そうだな」

 答えつつ、リゾットはワインを口に含んだ。さわやかな酸味が口に広がる。かなり上等なものなのだろう。ちびちびとワインを味わうリゾットに、プロシュートは何かと話しかけてきた。プロシュートは、酔うといつも以上に饒舌になる。

「人を殺すっつーのはよぉ、気分がいいもんじゃあねえな」
「それは、オレだってそうだ。だが、ためらいはもうなくなった」
「とっくの昔にな」

 ぐいとワインを飲みほして、プロシュートが息とともに言葉を吐き出した。

「はっ、天下の暗殺チームが何を言ってるんだか。酔っ払っちまったみてーだ」

 見れば、プロシュートが足元に置いた瓶の中身はほとんどなくなっている。

「少し飲み過ぎなんじゃあないか?」
「あー……かもな。そういや」

 ぐったりとソファに沈み込みながら、プロシュートはリゾットを指さした。

「俺も夢、見たぜ。いつだったかは忘れっちまったが」

 どんな内容なのか気になったが、リゾットは何も言わなかった。今のプロシュートならば、今に何も聞かずともぺらぺらと話し出すだろう。リゾットが思った通り、プロシュートはすぐに続きを話し始めた。彼の息はもう、大分酒臭い。

「俺らが皆、死んでく夢だ」
「縁起でもないな」
「まあ聞けよ。何でかは知らないが、あいつら全員幸せそうだったぜェー。それで、お前だけが生きてて、一人ポツンと立ってんだ」
「オレだけが?」

 お前の姿は、なかったのか? お前は一体どうしたんだ。

「ま、そんだけだ。すまなかったな、つまんねー酔っ払いの話聞かせちまって。もう寝るとするぜ」
「ああ、いい夢をな」

 プロシュートが立ち上がったのを見計らい、リゾットもワインを飲みほしてたちあがった。相当酒が回っていたのか、プロシュートは部屋を出ていく途中に壁に立て掛けてあった額縁に一度躓いた。数日前から突然届くようになったものだ。その横には、まだ開封していない大きな段ボールがあった。
 もう一度、寝なおそう。朝までまだ、時間がある。
 不意に、ドターン!と大きな音が上から聞こえた。誰かがロフトのベッドから落ちたのだろうか。その直後、「クソッ、このボロベッドが!」と怒鳴る声が聞こえた。ギアッチョが寝ぼけて仮眠用のベッドから落ちたのだった。
 部屋に戻り、ベッドに寝そべる。ベッドに寝転ぶのは、ずいぶん久しぶりのことだった。瞼が重くなっていく。相当疲れていたのだな、と思う頃には深いまどろみの淵に立っていた。

 
 これが夢だったら、どんなによかったことか。
 目を覚ました時に待っているのは、現実だ。現実は、いくら目をそむけてもひっくり返ることはない。
目を覚ましたアジトの中は、しんと冷え切っていた。――とても懐かしい夢を見ていた。かつての仲間との語らいの夢だった。
 ボスの足取りをたどるため今までかき集めた資料や、仲間からの情報をまとめて置いてある机の前に立つ。昨日、ようやくボスの足取りをつかむことができた。奴は、サルディニアへと向かう。これもすべて、仲間たちの力があってのことだった。
 リゾットはそれらをすべてまとめ、バッグにつめた。そうとなれば、もうここには用はない。
 リビングに降りると、すっかり埃をかぶったソファがぽつんとたたずんでいた。
 ――このアジトにオレしかいなくなって、たったの数日も経っていないだろう。
 けれど、そのわずかな時間以上にアジトはさびしく風化し、リゾットは止まった時間の中一人取り残されて立っていた。
 かつてプロシュートが言ったとおりになってしまった。
 仲間はもう、いない。栄光をつかむために果敢に運命に立ち向かっていき、誰もが散って行った。リゾットの黒い瞳の中映るものは、がらんどうになったアジトではない。かつて時間を共にした仲間たちだった。

「プロシュート、ぺッシ、ホルマジオ、イルーゾォ、メローネ、ギアッチョ……」

 お前たちは、プロシュートの言ったとおり、幸せなのか? 運命に逆らって、わずかでも幸せを得ることは出来たのか?
 問いかけたところで、答えてくれる人間はもうどこにもいない。知るすべすらない。次に会うとしたら、あの世だろうか――そんな場所があるのならば、だが。
 
 願わくば、またあいつらに会えるよう。

 リゾットは何も言わずアジトを後にした。ただ一つ、彼らが残してくれた希望だけを胸にして。ボスを殺すことで、オレたちが望んだものは達成される。
 そうしたら、オレは――。

暗殺チームの夢の後で。
2009.8.20